2012年11月16日金曜日

石平氏のMMから転載(中国情勢)

胡錦涛派の巻き返しと次なる天下取り
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考えてみれば、10年前に胡錦涛政権が誕生した時から、党内一の長老となった江沢民氏はずっと胡錦涛たちの政治に口を出したりそれを妨害したりしてその隠然たる影響力を行使してきた。

10年前の共産党第16回大会で胡錦涛氏が党の新しい総書記に選出されてから二年間あまり、
身を引いたはずの前任の江沢民は何と、本来なら党の総書記が兼任する党軍事委員会のポストにしがみ付き
軍の指揮権をバックにして影響力の温存を図った。

そして今から5年前に開催された党の第17回大会では、いよいよ胡錦涛総書記の後継者人事が決められることになった時、江沢民派はふたたび暗躍した。

彼らは、胡錦涛氏自身が推した意中の後継者である李克強氏を退け、太子党の習近平氏を担ぎ出して胡総書記に後継者として押し付けた
ポスト胡錦涛の権力構図が決められるこの肝心の時、江氏の強欲と強引がふたたび功を奏して江沢民一派の大勝利となった。

この乾坤一擲の一挙によって、胡錦涛政権にたいする影響力だけでなく、胡政権の後の新しい政権にたいする
江沢民派の影響力が温存されることになったのである。
その一方の胡錦涛氏は、自分の後継者すら決められない弱い指導者として歴史に残されるのである。

しかしその時以来の5年間、政権の後半期に入った胡錦涛氏は江沢民の陰に怯えながらも、何とか臥薪嘗胆して勢力の巻き返しを計って自分自身と共青団派の権力基盤の拡大に努めた。

胡氏はまず、やっと手に入れた党軍事委員会主席の権限を最大限に利用して軍部における自分の子分を増やし軍にたいする支配権を強め、逆に軍における江沢民派の地盤の切り崩しに全力を挙げた。

たとえば2007年、胡錦涛軍事委員会主席が当時は広州軍区参謀長だった房峰輝氏という軍人を、首都防衛の責任者である北京軍区の司令官に抜擢したことは、軍にたいする胡氏の支配権強化の重要なるステップとなった。
北京軍区を押さえれば首都の北京を押さえることになるのだ。

そして後述するように、この抜擢人事は実は今でも生きていて、習近平政権下における胡氏の影響力温存の布石ともなっているが、この詳細については後述することとなる。

その一方、胡錦涛氏はまた党総書記の権限を活用して、共青団派の若手幹部たちを各地方の党と行政のトップに大量に抜擢してきた。
広東省党委員会書記の汪洋氏や内モンゴル党委員会書記の胡春華氏吉林省トップの孫政才氏などはその代表格であるが、彼らの出現と活躍はまた、ポスト胡錦涛の中国政治の方向性に大きな影響を及ぼしていくのであろう。

しかしながら、2012年11月14日に胡錦涛政権が終演するこの日まで、党と国家の中枢である最高指導部は
しっかりと江沢民派によって押さえられていて、胡政権はずっと江沢民という老害の隠然たる力に怯えていたことは明らかな事実である。

そしてこのレポートの第一弾で記述していたように、今回の党大会後の最高指導部人事をめぐる権力闘争においても、胡錦涛氏とその率いる共青団派は江沢民派に完敗してしまったわけである。

だがその一方、胡錦涛派は党の軍事委員会主席のポストも差し出して「完全引退」という最後の切り札を切ったことで、政治局常務委員人事とは別のところでそれなりの勝利を収めている

その一つはすなわち、政治局常務委員会より一段下の政治局の布陣である。
新しく選出された25名の政治局に、胡氏は共青団派出身の二人の若手幹部を入れることに成功した。

その一人はすなわち前出の内モンゴル党書記の胡春華氏と吉林省トップの孫政才氏である。しかもこの二人ともは49歳という異例の若さであるから、今後において約20年近く中国の政界での活躍が期待できる。

つまり、今の習近平政権はすでに江沢民一派によって押さえられた中で、共青団派は「ポスト習近平」を視野に入れて今後の天下取り戦略を進めているのである。

また、今回の党大会開催前の10月25日、当時の中央軍事委員会主席だった胡錦涛氏の主導下で、人民解放軍司令部の人事刷新を行った。

彼はまず、解放軍の作戦や情報を担当する総参謀長と軍の人事・思想教育を担当する総政治部主任いう二つの重要ポストに自分の側近の軍人を任命して、軍の中枢を押さえた。

新しい総参謀長に就任したその側近幹部は、すなわち前出の北京軍区司令官の房峰輝である。
胡錦涛氏は随分前から、実に用意周到に軍の把握を進めてきているわけである。

もちろん、今後において胡錦涛氏はすべてのポストから
「引退」したとしても、軍の中枢部を握る自分の子分たちの働きによって
大きな影響力を持ち続けるのであろう。

また、新しい政治局に入った共青団派の若手幹部たちは「ポスト習近平」を睨んでの天下取りの戦いを始めた時、軍の中枢にいる胡錦涛氏の子分たちは力強い援軍となるのであろう

つまり、江沢民一派は現在の政治局常務委員会を押さえたことによって現在の政権を掌握したのにたいして、胡錦涛一派はむしろ未来の政権奪取を目指して強力の布陣を固めているのである。

しかしその中で、肝心の習近平氏は一体どういう指導者となっていくのか。
それはまた、大きな問題なのである。

( 石 平 )

2012年11月15日木曜日

石平氏のMMから転載。

最高指導部人事は共青団派の惨敗だった


2012年11月15日、午前から開かれた
中国共産党第18期中央委員会第1回総会において、
新しい政治局と政治局常務委員の顔ぶれが決まった。
総会終了の直後に、政治局常務委員に選出された7名の指導者たちがお揃いの紺スーツに身を包まれて記者会見に臨み、自分たちのチームで今後の中国をリードしていくことを内外に宣した。

それはすなわち、十三億の国民をこれから統治していく中国共産党新指導部誕生の瞬間であるが、この華やかなお披露舞台が設置されるまで、共産党の上層部においては実に熾烈にして激しい権力闘争が展開されていた。
やっと決められたこの7名の政治局常務委員の構成はまさにこの壮絶な権力闘争の結果であるが、中国の政治事情に多少詳しい人間なら、その顔ぶれを一目でみればすぐに分かるように、闘争の結果は間違いなく、江沢民氏の率いる上海閥・太子党連合軍の全面的勝利と、胡錦涛氏の率いる共青団派(共産主義青年団を母体とする派閥)の歴史的大敗退である。

新しく選出された7名の政治局常務委員のうち、重慶市党書記だった張徳江氏と上海市党書記だった兪正声氏と共産党宣伝部長を務めた劉雲山氏の三名はバリバリの江沢民派として知られて、山東省党書記の張高麗氏も江沢民派に近い存在である。
もう一人の王岐山氏は太子党の一人であるが、太子党はもともと江沢民派と「同盟関係」にあることは前述の通りだ。

つまり、政治局常務委員の7つの椅子の5つは江沢民派か江沢民派に近い人間によって占められている状況である
党の総書記でこの7名のトップである習近平氏となると、太子党の代表格である彼はもともと、江沢民氏と江沢民派の強い押しがあって今の立場になった人間だから、半分以上は江沢民派なのである。

そして7名の中の最後の1名、次期首相に内定している李克強氏だけは、胡錦涛氏の子飼いの幹部で、正真正銘の共青団派である。

こうして、最高指導部となる政治局常務委員会の絶対多数(7名のうち6名)は江沢民派あるいは「準江沢民」によって牛耳られることとなった。
少なくとも党の最高意思決定を担う中枢においては、新しく誕生した習近平政権はまさに江沢民一派の天下である。

その一方、党組織部長だった李源潮氏や広東省党書記の汪洋氏など、一時には常務委員会入りが確実視されていた共青団派若手ホープの面々はことごとく最高指導部への昇進を阻まれ、政治局員止まりのままで職務が異動されることになる。
このレベルの人事における胡錦涛氏と共青団派の惨敗は明らかである。

( 石 平 )