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考えてみれば、10年前に胡錦涛政権が誕生した時から、党内一の長老となった江沢民氏はずっと胡錦涛たちの政治に口を出
10年前の共産党第16回大会で胡錦涛氏が党の新しい総書記に選出されてから二年間あまり、
身を引いたはずの前任の江沢民は何と、本来なら党の総書記が兼任する党軍事委員会のポストにしがみ付き
軍の指揮権をバックにして影響力の温存を図った。
そして今から5年前に開催された党の第17回大会では、いよいよ胡錦涛総書記の後継者人事が決められることになった時、江沢民派はふたたび暗躍した。
彼らは、
ポスト胡錦涛の権力構図が決められるこの肝心の時、江氏の強欲と強引がふたたび功を奏して江沢民一派の大勝利となっ
この乾坤一擲の一挙によって、
江沢民派の影響力が温存されることになったのである。
その一方の胡錦涛氏は、自分の後継者すら決められない弱い指導者として歴史に残されるのである。
しかしその時以来の5年間、政権の後半期に入った胡錦涛氏は江沢民の陰に怯えながらも、何とか臥薪嘗胆して勢力の巻き返しを計って自分自身と共青団派の権力基盤の拡大に努
胡氏はまず、
たとえば2007年、胡錦涛軍事委員会主席が当時は広州軍区参謀長だった房峰輝氏という軍人を、首都防衛の責任者である北京軍区の司令官に抜擢したことは、軍にたいする胡氏の支配権強化の重要なるステップとなった。
北京軍区を押さえれば首都の北京を押さえることになるのだ。
そして後述するように、この抜擢人事は実は今でも生きていて、習近平政権下における胡氏の影響力温存の布石ともなっているが、この詳細については後述することとなる。
その一方、胡錦涛氏はまた党総書記の権限を活用して、共青団派の若手幹部たちを各地方の党と行政のトップに大量に抜擢
広東省党委員会書記の汪洋氏や内モンゴル党委員会書記の胡春華氏
しかしながら、2012年11月14日に胡錦涛政権が終演するこの日まで、
しっかりと江沢民派によって押さえられていて、胡政権はずっと江沢民という老害の隠然たる力に怯えていたことは明らかな事実である。
そしてこのレポートの第一弾で記述していたように、今回の党大会後の最高指導部人事をめぐる権力闘争においても、胡錦涛氏とその率いる共青団派は江沢民派に完敗してしまったわけ
だがその一方、
その一つはすなわち、
新しく選出された25名の政治局に、胡氏は共青団派出身の二人の若手幹部を入れることに成功した。
その一人はすなわち前出の内モンゴル党書記の胡春華氏と吉林省トップの孫政才氏である。
つまり、
また、今回の党大会開催前の10月25日、当時の中央軍事委員会主席だった胡錦涛氏の主導下で、人民解放軍司令部の人事刷新を行った。
彼はまず、解放軍の作戦や情報を担当する総参謀長と軍の人事・
新しい総参謀長に就任したその側近幹部は、すなわち前出の北京軍区司令官の房峰輝である。
胡錦涛氏は随分前から、
もちろん、今後において胡錦涛氏はすべてのポストから
「引退」したとしても、
大きな影響力を持ち続けるのであろう。
また、新しい政治局に入った共青団派の若手幹部たちは「ポスト習近平」を睨んでの天下取りの戦いを始めた時、軍の中枢にいる胡錦涛氏の子分たちは力強い援軍となるのであろう
つまり、
しかしその中で、
それはまた、大きな問題なのである。
( 石 平 )